【オワマルmy story9】医療ソーシャルワーカーになると決める

終わりに◯(まる)と思える生き方をサポートするライフコーチ小松さやかです。

前回の【my story8】では、子供の頃のことを書きました。

強運の持ち主なのか、無事地元進学校に入学した私。

なんと1、2年生は、成績が10以内。

はい、下から数えての10位以内です。

毎年、進級できるかドキドキしていました(笑)

ところが、奇跡が起こります!

3年生の時に、なぜか男女共トップ1、2位がいるクラスに紛れ込んでしまったのです。

しかも、私がいつも仲良くしていた女子は、学年1位と2位。

とっとと有名私大に学校推薦で合格して、暇なので、私の勉強に付き合ってくれていました。

3年生の時のクラスは、国公立組が放課後残って勉強していて、そこに推薦合格組がサポートに入る。という状況が自然とできていました。

なんていいクラスだったんだ(涙)

結果、またまた奇跡が起こります。

地元国立大学に受かったのです!

センター試験も2次試験も試験中、強烈な腹痛に襲われ、適当に回答したのに、過去最高得点を出したのです。

そういうこともあるんですね〜。

結局、地元国立大学しか受からなかったので、入学することになったのですが、本当は本意ではなかったのです。

「医療ソーシャルワーカー」という職業にピン!と来た

 

高校3年生になる直前、職業図鑑みたいなのを見ていてたら、そこにこの文字を見つけたのです

「医療ソーシャルワーカー」

まるで運命の人に出会ったかのように「これだ!」と思って、それからはソーシャルワーカーの人が書いた本を読んだり、福祉大学について調べたり。

 

第1志望は、某福祉大学。夢はソーシャルワーカーになっていました。

ところが、某福祉大学は見事不合格。

それで、地元国立大学教育学部へと進学することになったのです。

ソーシャルワーカーになりたかった理由

 

なぜ私が医療ソーシャルワーカーになりたかったのか。

それは、母の影響が大きかったです。


(この猿みたいな赤ちゃんが私)

 

18歳から医療事務として個人医院に勤務していた母は、兄と私を出産しても仕事を続けていました。

 

外科→脳外科→産婦人科→内科

 

特に脳外科、産婦人科に勤務していた時に、人の生死に深く関わる領域だったので、10代の私はとても影響を受けていたのだと思います。

 

私も当たり前に病院に行ってましたしね。

私にとって病院は日常。

病院の出来事も、日常会話で話していました。

医療ソーシャルワーカーなどいない個人院では、医療事務の人たちがその役割を果たしていたのです。

私は、病気や怪我を負った人や家族が抱える精神的、経済的な悩みを子供の頃から聞いていたんですね。

そういう環境で育った私は自然と

「治療だけではない精神的なサポートがしたい」

と思うようになりました。

 

当時、医療ソーシャルワーカーを配置している病院は少なく、そんな事情を知っている母からは反対されました。

給料も安い、採用があるかも分からない。しかも大変。

そんな仕事に就くより、安定した「先生」の仕事がいいと。

同居していた祖母が元教員だったことや亡くなった祖父も教員。
伯父伯母も教員と、「教師」という仕事も身近であったため、私もソーシャルワーカーの仕事を知るまで「教育学部」を第1志望にしていたのです。

 

でも、諦められない私は福祉大を受験。

 

結果的に不合格となりますが、今思えば、地元国立大学に行ったからこそ、医療ソーシャルワーカーの道にも進めたのかなと思っています。

 

何事も、全ては魂の求める方向へと歩めるようになっている。

こうして振り返ることで改めてそう思います。

 

その後、大学生活は教育学部卒業というより「スキー部卒業」というほど部活に熱中します。

そして、いよいよ大学4年生になった時ある出来事が起こるのです。

【オワマルmy story10に続く】

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